子に残せるもの

子に残せるものって、目に見えないものなのだと今頃気付く。


保育園には、もうすぐ3歳になるのに言葉を発しないお子さんもいる。
思い通りにいかないと、言葉の代わりに噛みつく。
そうならないために保育者が必ず見守る。
未遂は毎日。見落とすと一瞬で事故になり、事故報告書に。
お友達に怪我を負わせることになる。


もちろん、生まれ持った性質だろう。
この辺は保育士の勉強をしていても学べない。
図書館でいろんな先生の本を借りてきた。
疑わしい時はおそらく障害。一対一で対応するように書かれている。
認定後の対応次第では、改善することも多いらしい。
現実には、ほとんどの園で一対一の保育者配置が出来ない。
運営のための補助金がそういう仕組みになってしまっている。


両親は初孫であるうちの長女に会いに、仕事帰り度々寄ってくれた。
祖父母に接することの大切さは子の成長を見ると明らかで、私もどんな育児書より頼りにしていた。
今夜来る!という日は二人分多く夕飯を用意して待った。


保育資格のための勉強の、10分の1は保育指針の暗記だった。
中でも「応答的に」という言葉が度々登場する。
なかなか馴染めなかったが、今、現場で保育しながら何度も思い出す。
忙しくて応答的に対応できなくて残念な思いもあるし。
ばっちり応答的に子どもの思いに応えられた時の喜びは、胸の奥にじんわり温かい。


両親、特に母の声掛けは、今思えば応答的そのものだった。
そして孫の語彙はどんどん増え、表情も豊かになる。
会社が倒産した後で、ふたりで遅くまで働いた帰りに孫の顔を見に寄ってくれていた。
疲れも見せず、とにかく楽しそうに遊んでくれた。
寝かせる時間が遅くなっても構わない。明日お昼寝させればいい。
そう思ったのは正解だった。


孫と応答的に遊びたい。
そして、大丈夫だよと娘に言いたい。